2024年10月衆議院議員ランキング 27回戦
御法川信英 vs 二階俊博
勝: 二階俊博
戦評
議員Aと議員Bを比較すると、両者ともに政治キャリアにおいて重要な役割を果たしてきたが、不祥事やスキャンダルが問題視される点が共通している。議員Aは政務として多岐にわたる政府の役職を務めた経験があるが、統一教会との関係や政治資金における不正問題がその信頼性に影響を与えている。議員Bは長期間にわたり一貫した政治活動を続け、国内外での政治関係を築いてきたが、西松建設事件や裏金問題を抱えている。ただし議員Bは、不祥事に対する責任をある程度認め、次回選挙に不出馬を表明するなどの対応を示している。選挙における信頼回復の観点からは、責任を取る姿勢を明確に示し、将来のポジティブな影響も期待できる議員Bが選ばれるべきだと判断する。
御法川 信英(みのりかわ のぶひで)
議員データ

衆議院議員 | |
年齢 | 60歳 (1964年05月25日生) |
所属政党 | 自由民主党 (無所属(グループ改革)→)自由民主党(無派閥→佐藤G→麻生派→無派閥) |
選挙区 | 秋田3 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 秋田県大曲市(現:大仙市)出身。 - 秋田県立横手高等学校普通科を卒業。 - 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 - コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)修士課程を修了。 - 秋田銀行で行員として勤務。 - 父・御法川英文の私設秘書、公設第一秘書を務めた。
政治家としてのキャリア
- 2003年:第43回衆議院議員総選挙で初当選し、政治家キャリアを開始。 - 2004年:自民系無所属議員と院内会派「グループ改革」を結成。後に同会派を解散し、自民党へ入党。 - 2008年:外務大臣政務官に就任。麻生内閣で留任。 - 2014年:第2次安倍内閣で財務副大臣に就任。 - 2019年:第4次安倍改造内閣で国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣に就任。 - 2021年:自民党国会対策委員長代理に就任。 - 自民党秋田県支部連合会会長を複数回務める。
政治活動上の実績
- 2005年:郵政民営化賛成票を投じる(反対から転向)。 - 2014年:政治資金収支報告書の不適切記載問題(一部収入記載漏れ、寄付金額の誤記)に直面。 - 消費税率の一時的な引き下げに対し『必要でない』と2001年アンケートに回答。 - 2021年:森友問題に関して『これ以上、調査や説明は必要ない』と毎日新聞のアンケートに回答。 - 2014年:政治団体がカレンダーを無料配布し、公職選挙法違反の指摘を受ける。
政治的スタンス
- 憲法改正については『どちらかといえば賛成』。 - 自衛隊の憲法への明記を支持。 - 原発依存度を下げるべきと2019年に主張。 - 同性婚、選択的夫婦別姓制度に関して明確な回答を避けた。 - 経済政策では消費税率の維持を支持。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 父親も衆議院議員であり、政治的背景は強固。 - 各種の不祥事(政治資金報告の不正やカレンダー無料配布問題)が信頼性に影響。 - 統一教会(現:世界平和統一家庭連合)との関係が取り沙汰される。 - 困難な立場でも調整能力が高く評価される一方で、柔軟性のあるスタンスが時に批判の対象となる。
二階 俊博(にかい としひろ)
議員データ

衆議院議員 | |
年齢 | 86歳 (1939年02月17日生) |
所属政党 | 自由民主党 (自由民主党(田中派→竹下派→羽田派)→)(新生党→)(新進党→)(自由党→)(保守党→)(保守新党→)自由民主党(二階グループ→二階派→無派閥) |
選挙区 | 和歌山3 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
和歌山県御坊市で生まれる。父親の俊太郎は和歌山県議会議員、母親は女性医師である。 和歌山県立日高高校に進学し、高校生時代に生徒会長を務める。 中央大学法学部政治学科に進学。学生時代は政治家や文化人との交流を持つ。 大学卒業後、遠藤三郎衆議院議員の秘書を務める。 1975年、和歌山県議会議員選挙に立候補し2回当選し、政治家としてのキャリアをスタートさせる。
政治家としてのキャリア
1983年、衆議院議員に初当選。以来、自由民主党、離党・復党を経て現在まで13期連続当選を重ねている。 運輸大臣(1999年-2000年)、経済産業大臣(2005年-2006年、2008年-2009年)などを歴任。 自由民主党幹事長(2016年-2021年)を務め、党内で重要な役割を果たす。 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長森喜朗の発言でもボランティア辞退者が出る中、影響力を見せた。 2024年、次期衆院選には出馬しない意向を表明。
政治活動上の実績
1983年、衆議院議員選挙で初当選を果たし、以来13期にわたり国会議員を務める。 1993年、新生党の結成に参加し、小沢一郎と政治行動を共にする。 2005年、郵政民営化法案の衆院通過に尽力し、選挙責任者として自民党を大勝利に導いた。 2009年、西松建設事件で秘書が虚偽記載で略式起訴され、自身は起訴を免れた。 2024年、派閥の裏金問題で責任を取り、次期選挙への立候補を取りやめる意向を表明。
政治的スタンス
親中派として中国との関係強化に積極的であり、日中友好議員連盟会長も務める。 国土強靭化を推進し、災害に対する防災対策にも注力している。 積極財政を支持し、経済対策や財政出動を推進する立場。 選択的夫婦別姓制度にもどちらかといえば賛成の立場を示している。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
多党派時代を通じて培われた幅広い人脈と調整力を持ち、派閥を超えて影響力を発揮してきた。 幹事長在任中は党内の派閥を調整し、自民党の党運営に関して重要な役割を果たした。 2009年に西松建設事件や2024年の裏金問題で秘書が起訴されるなど、不祥事がある。 2024年には政治責任を取って次期選挙には出馬しない意向を示すなど、状況に応じた責任の取り方を見せている。